「アラビアのロレンス」を巡る旅 in UK/2006年2月

2006年2月「アラビアのロレンス」展に行くぞっ<その7>

退役、そして死

「空軍で私はリラックスして過ごし、健康で幸福でした・・ですから、もしあなたが私に関するあの古ぼけたファイルを保存しておくのでしたら、私がここを去るのをどれだけ悲しく思っているか書き残したこの紙切れを一緒に挟んでおいてもらえますか?私にとって空軍は職業以上の意味があったのです。」 - 1935年の手紙

1935年2月、ロレンスは12年に渡る軍隊生活を終えた。

しかしクラウズ・ヒルに戻った彼を待ち構えていたのは記者やカメラマンだった。彼らは「アラビアのロレンス」の次の計画を書きたがっていた。ロンドンに逃げたロレンスは新聞協会長たちに手紙を送り、「自分はもう何も表立ったことをするつもりはないので記者たちを立ち去らせてほしい」と訴えた。

これから生活を送るクラウズ・ヒルに手を加え、友人達を招きながら、彼はこの先の人生について考えていた。文学関係の依頼も多かった。長年の夢の「美しい本の出版」を実現させるための計画も立ててはいた。それでも彼はこれからについて楽観と悲観の中を揺れ動いていた。

そんな中の5月13日、ロレンスは友人からの手紙に「火曜日にランチを」と返事の電報を書き、別の友人に送る書籍小包も一緒に持って、ブラフで基地の郵便局へ向かった。
その帰り道、ロレンスは自転車の二人の子供に気づくのが遅れ、避けようとハンドルを切りブラフから振り落とされた。脳にひどい損傷を負った彼はすぐに基地内の病院に運び込まれたが、意識が戻ることはなく、6日後の19日、ロレンスは息を引き取った。46歳だった。

彼の人生を語る最後の部屋で気に入ったもの。
それはロレンスが手紙を出す時に付けていたカードです。小さなカードに(タイプライター嫌いのロレンスには珍しく)12文字だけタイプされていました。
「TO TELL YOU THAT IN FUTURE / I SHALL WRITE VERY FEW LETTERS T.E.S」
(いつか君にそれを話すから、手紙をひかえます T.E.S.)
でも、こんなカードが入っていて、いつものように文字で埋め尽くされた便箋が付いていたらちょっと笑うよなぁ。

この部屋では空軍を退役した時期のロレンスの手紙が朗読されていました。

「事実、私自身のカーテンが降りるのを私はいつも望んでいたのだと気がつきました。今それを終えてしまったように思えます。」 - 1935年

「私の望みは・・私は何が望みなんだろう?・・私は死んでしまっていればよかった。」

「私が何をしているのかと不思議に思われますか?それは私も同じです。日々は明け、陽は輝き、夕暮れが降りて、私は眠りにつきます。私は何をやってきたのだろう?何をしているのだろう?これから何をするのだろう?私を混乱させ、困惑させます。」

反対の耳からは彼が愛したエルガーの静かな旋律と、そして遠い部屋からかすかにアラブの遊牧民たちの歌声が聴こえてきました。まるでロレンスの人生が一度に目の前に現れたようでした。
そして目の前のケースの中にはロレンスの死亡報告書がありました・・・。

涙が出ました。なんて人生なんだよ!そんなのアリかよ!って。
地面に激突するその数秒に彼は何を考えたんだろう。本当に疾風のような人生でした。そして立ち止まり、居場所を決めた途端にその人生が終わるなんて。
ロレンスは芸術家に憧れたけど、彼という人間が芸術そのものだったような気がします。だからこそ今でも大勢の人が彼に憧れ、惹かれるんだろうな。

「人はどうすれば忘れ去られることができるのだ?私が死んだ後、彼らは好奇心から私の遺骨についてお喋りし続けるんだろう。」 - 1929年

最後の部屋には彼の死後に出版された本などが置かれていました。でもこんな言葉の下に山のようなロレンス伝記や研究本を置いておくなんて、すごいロレンス的嫌がらせ。

ちなみにその中に日本のコミックもありました。著者名も書かれず単に「JAPANESE CARTOON」とだけ説明されてました。まだ読んでないんだけど、表紙の絵を見たとたん読む気力が失せたんだよね。八頭身のロレンスなんていやじゃあ!!

「遠い未来、もし遠い未来が取るに足らない私を描いてくれるなら、私は行動の人ではなく、言葉の人として評価されたい」 - 1927年

 

「行動の人うんぬん」以降の言葉は知っていたど、その前にこんなロレンスらしい言葉がついていたんだ。

この言葉の下には彼の死後に出版された彼の言葉である書簡集や各国版の「知恵の七柱」などがありました。

そしてその本の間には、ブルー・プレートが飾られていました。ロンドンには昔の著名人が暮らした建物にこうしたプレートが埋め込まれています。これはロレンスがロンドンで「知恵の七柱」を執筆した時に使っていた建物にあるようで、これを見て慌ててそこを探しに行きました。

後日の回顧展で、このプレートの前でおじいさんとおばあさんが「こんな所、知らなかったわ」「どこなんだろう?」とか言いながら住所をメモしていました。

私は普段は見知らぬ人に話しかけないのですが、思わず「ここ、国会議事堂の近くですよ」と言うと、「私は70年もロンドンに住んでいるんだが知らなかったよ」と、おじいさんの返事。
続けて「彼女はロレンスに会ったことがあるんだよ」といきなり言われてビックリ!「彼女の祖父のガソリンスタンドに彼がよくバイクのガソリンを入れに来ていたんだ。なぁ?」と、その女性に話しかけると「ええ、でも私が2、3歳の時だから憶えてないけどね」と笑っていました。
まだロレンスと時間がつながっているんだ。ちょっと嬉しかった。

でもね、さらに続けて「この博物館の近くに○○という軍人の住んでいた家があるのだよ?彼のことは知らないか?彼は日本では有名ではないんだな。」と言われてしまった・・・ごめんねぇ、おじいさん。私は別に軍人マニアではないんだよぉ。


そんなロレンス展でありました。

こうして旅行記を書いていると、「終わっちゃう前にもう一度いきたいよぉ!!」なんて気分になってきてしまいます。次回は生誕120年?(でもそれでは2008年だ。そこまで頻繁にはやらないよね〜)死後80年?(10年後・・・)三越でも文句は言わないからさっ(笑)
実はイギリスに行けるマイレージが貯まっているんだけどね・・・って、い、いかん!誰かこの悪魔のささやきを止めてぇ!