「アラビアのロレンス」を巡る旅 in UK/2006年2月

2006年2月18日/セント・ポール寺院とバートン通り、でもその前に・・・

今日はロンドン市内でロレンス巡り。
ロレンスの胸像があるセント・ポール寺院(St.Paul's Cathedral)と、ロレンスが「知恵の七柱」を執筆したバートン通り(Barton Street)14番地に行きました。

朝、セント・ポール寺院に行くため、ロンドン名物のダブル・デッカー(二階建てバス)に乗り、ロンドン中心にあるトラファルガー広場を通りすぎていたら、なにか舞台が準備されてる?
新聞に地下鉄のストライキについて書かれていたから、その集会でもやるのかなぁ、なんて思いながらバスの窓から見ていたら・・・違うっ!例のイスラム教の風刺画に対する抗議集会をロンドンでやる気だっ!!と、思った瞬間にバスを飛び降りてしまいました。

この頃、オランダの新聞に掲載されたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画が問題となって、ヨーロッパのあちこちでイスラム教徒による抗議集会が開かれていました。
広場にはすでに抗議のプラカードを持ったイスラム教徒たちがチラホラと集まり始めていました。う〜ん、イギリスではその風刺画は掲載されていないし、子供や老人もたくさん居たので過激なコトにはならないだろうと踏んで、広場の中に入ってみました。

 

しかし、11時頃からステージで指導者たちが演説を始めても、なんとなく閑散としている・・・と思っていたら、30分程経った頃からだんだんと人が増えて来てきました。

アラビア語が書かれた緑や黒の旗が振られていたり、うひゃ!純白のアラブ服を着たヤツもいる!と、思わず浮かれてしまいました。いかん、いかん、そんなミーハーな気分では!
うん、今回の問題は完全にヨーロッパ側の分が悪い。他宗教を尊重する意識が無いという問題点を「表現の自由」とゴマかしているんだよ。

なんて偉そうに考えていると、いつの間にか広場はひしめくほどに人が増えて、そして指導者が掛け声をかけると、広場中の人が一斉に「アッラー・アクバール!!」と叫び、あわわ、迫力ありすぎ。ちと怖い。
広場の中は若い男性がほとんどで、後ろの階段には年配の男性たち、そしてその後ろに女性たちが集まっていました。なので年配軍団の中に避難しました。

イスラム教指導者やイギリスの人権団体(かな?)の人が演説を続けていて、彼らも周りの人たちもほとんどが英語を話していました。ここにいる人のほとんどがイギリス生まれなんだろうなぁ。そういえばロンドンでテロをやったイスラム教徒もイギリス生まれの人たちだったんだよな。

今回イギリスで気になったことがありました。
イギリスではよくケバブを食べますが(安いし、ウマイし、夜中でも買えるから)あちこちの店でわざわざ「ハラル・フード」と宣伝してました(確かイスラム教の教えで許されたお肉とかを指すんだよね。)
2年前のペトロの引退試合の後、モリッシー(元スミスのボーカルのおじさんですな)のライブを見るためイギリスに渡りましたが、その時はこんなコトは気がつきませんでした。しかも実はその12月にまたモリッシーを見にロンドンに行って、でもその時もこんな風ではなかったはず。その後であのテロがあって・・・。ロンドンのイスラム教徒たちの意識が変わってきたのかな。原点回帰?

がっ、気がつくと2時間もそこにいて、体は冷えきるし、もう昼だというのに当初の目的をまだ全然果たしてないことに気がつきました。
バス停に向かおうとすると、広場の一角にシートが敷かれていて、そこでメッカの方向(イギリスからすると東南だよね)を向いてお祈りしている人たちがいました。彼等も10代、20代の人たち。このイギリス生まれのイスラム教徒たちはどこへ向かっていくのかなぁ・・・。

ともかく初心を思い出して(?)セント・ポール寺院へ向かいました。
トラファルガー広場から東へ数キロのところにあるのが、ダイアナ妃の結婚式でも有名なこの寺院です。イスラムの集会を見てからここを訪れるなんて、日本人のちゃらんぽらんさが成せる技!

寺院自体にさほど興味がある訳ではないので、サクッとロレンス像を見ていくか、なんて思ったら、いきなり入場口で9ポンド(約1800円)もとられてガックリ。がめついぞ、キリスト教!

パンフレットの説明文には「アラビアのローレンス像などがあります」と書いてありますが、場所がさっぱり分かりません。しかし体が冷えきっていたので、案内図を見ながら地下のトイレに向かって歩いていたら、
「あっ、ロレンスっ!!!」
いきなりロレンスの胸像を発見。意外と簡単に見つかった。でも・・・ちょっと待っててね!

すっかり準備万端となり(?)再びロレンス像のところへ向かいました。

この胸像は映画「アラビアのロレンス」のオープニング・シーンに一瞬登場していて、その場面からなんとなく通路に他の胸像と並んで置かれていると勝手に想像していました(余談だけど、この胸像は本物にそっくりなので映画で見ると「おいおい、さっきまでのロレンスと顔が違うぞ!」と笑えます。)

でも実際の胸像は、少し奥まった暗い場所に「ぽつん」と置かれていて、壁から出た棚のような台の上にありました。アラブ装束ではなく軍服姿で、でも胸像の下には金文字で「Lawrence of Arabia」と書かれていました。

この地下には英国の著名人の胸像や墓石などが他にもたくさんありますが、ロレンスのものは何故かすごい違和感が・・・?
「あっ、そうか、ロレンスは何の説明もないんだ!」
他の像は「有名な作曲家であり・・・」とか碑文などでその人物を紹介しているのに、ロレンスは本当に「Lawrence of Arabia」としか書かれていない。肩書きや職業、ましてあんなに沢山あった名前すら残されていない。どういうコト??なんで?

それほど実体がつかめない人だったというコトなんだろうか。
確かに講和会議でもチャーチルの部下だった時も確固たる肩書きはないし、大戦中の役割も実はアラブ軍に送り込まれたスパイだったとも言われています。
その後の空軍の一介の兵士ではここに納められる理由もないよね。勲章も拒否しちゃったし(勲章を授けられる時に、国王に面と向かって英国の対アラブ政策を説明して「このままだと英国とアラブは戦争に入るかもしれない。その時は私はアラブ側で戦うので、陛下からの勲章を私が持っていては陛下に迷惑になりますので辞退させてほしい」と言ったのそう。おいおい、カッコよすぎ(笑))そして名前だってどれを記せばいいのやら?

それで、ふと英国にとってロレンスは何だったんだろうと考えてしまいました。
実際、英国にとっては厄介な存在だったんだろうな。自分の手の内にいればとても有能な人物ですが、それを拒否したロレンスは、飼い馴らすことができす平然と牙をむいてくる狼、それか諸刃の剣みたいなモンだったんだろう。でもロレンスはそうするしかなかったんだろう。

ロレンスが意識不明で軍病院に運び込まれた時、英国軍は箝口令を敷き、家主のいないクラウズ・ヒルを兵士が警備し、内務省の関係者が付き添い、そして国王は侍医を派遣したといいます。軍も退役してしまい、何の身分もない男のためになぜそこまでしたのか(だから暗殺説やロレンスの大物スパイ説が出てくるのですが。)
この何もかかれていない胸像は、ロレンスに対して英国が抱えていた複雑な感情を表しているような気がしました。

そんなセント・ポール寺院を出て、またバスに乗りました。向かったのはビッグ・ベンとして有名な国会議事堂です。近くにはウエストミンスター寺院という観光名所もあるので、この周辺は土曜日でも観光客でごった返していました。でも私の目的はロレンスがロンドンで暮らしたバートン通りの14番地です。

ロンドン(というかイギリスの大きい街)はすべての通りに名前がついているので、「A to Z」という地図で調べれば目的の通りがどこにあるか簡単に分かるようになっています。だからバートン通りもすぐに分かりました。

しかしすぐ分かるだろうと思って地図を持たずにいったら、当然というかなんというか、バスを降りたらいきなり道が分かりません(苦笑)
最初の大通りの名前くらい覚えておけばよかった、と、ちょっと後悔しつつも、「たぶんこっち!」と適当に歩き始めました。が、当然見つからない。
しかも周りは新しいビルばっかりで、「もしかして14番地の家はもうないのかな。だから『ロレンス展』にあのブループレートが置かれていたのかも」なんてひどく弱気になってきました。でも家はなくても通りはあるはずだから、とにかくそれを探すぞっ!

20分はたっぷりと迷子になった結果、もう一度国会議事堂に戻って考え直しました。
「え〜っと、最初の大通りはテムズ川と平行だったはず・・・って全然方向が違ってたじゃないか!」自分の方向音痴さを実感(分かってりゃ地図を持ってこいよっ。)
「たぶんこの辺から右に曲がって」と古い赤レンガの建物の並ぶ通りに入っていきました。この辺りはさっきと違って、昔ながらの建物ばっかりです。これなら14番地も残っているかも、と期待しつつ探したのですが、やっぱり見つからない!
しかもなぜか警官がやたらと居て、国会議事堂が近いからかなぁ?と思っていたら、いきなり目の前に現れたのはスコットランド・ヤード(イギリス警視庁)!そりゃ警官がたくさん居て当たり前だ。でも国会議事堂近くのこんな普通の住宅街の中にあるなんて知らなかったよ。どうしても見つからなかったらここで聞こう。

古めかしいレンガ造りの建物が並ぶ静かな住宅地の中をまた3〜40分もウロウロし、「残るはこの道だけなんだけど・・これで見つからなかったら今日は帰ろう」と、半ば諦めかけた時、
「あったぁぁあ!!」やっと見つけた!バートン通り!
誰もいない静かな通りの14番地にはちゃんと「T.E.Lawrence lived here」と刻まれたプレートがありました。建物もロレンスのバイオグラフィーに載っていた写真と変わっていません。この屋根裏部屋の小窓の奥でロレンスは「知恵の七柱」を書いていたんだ。

それにしても探したあげく、結局この建物は国会議事堂の目と鼻の先にありました。クラウズ・ヒルのコテージはロレンスが嫌った陸軍基地の近くで、この建物はあれほど逃げたがっていた政治の中心のすぐ目の前なんだよね。ロレンスの名前の残る建物が両方とも彼が嫌ったものの近くにあるなんて皮肉だよなぁ。

そんなことを考えていたらテムズ川沿いの道に出ました。
ロンドンのこのあたりのテムズ沿いは落ち着いていて、夕暮れ時なんて思わずザ・ポーグスの曲「ララバイ・オブ・ロンドン」を口ずさんでしまうような美しい風景です。
再開発もされているので、きっとロレンスが見ていた風景とは全然違うんだろうけど、それでもこのテムズから流れてくる夕暮れの空気の匂いは変わってないんだろうな、なんて考えてしまいました。